黒谷川大幽東ノ沢
2015/07/18~20 会山行
メンバー:CL信、SLとし、NAS、うど子、オベ松、南郷勇、ガラ中
押忍、梁山泊新人ガラ中です。
台風11号が日本海に抜けるとともに温帯低気圧に変わり、私の住んでいる西東京市は雨もあがり、好天の気配。
pm11:00にメンバー全員集合。
実は好天気は東京近郊で、遡行予定の「魚野川黒沢」は20日降水確率40%。
「黒沢」は3段53mの大滝があり、その内チムニー15mを有する。
台風11号の影響で山間部には降雨、無論沢は増水、「黒沢」のチムニーを降水確率40%で突っ込むのは危険であるし、エスケープルートもない。そこで緊急梁山泊リーダー会議の結果、6月会山行「小川沢」より伊南川を挟んで南南西に位置する「黒谷川大幽東ノ沢」に遡行変更。
黒谷川大幽沢から丸山岳のルートはかつて「岳人」で紹介され、連休ともなれば数パーティが必ず訪れる人気の沢であったが、2011年7月下旬新潟・福島豪雨により黒谷川流域も甚大な被害を受けました。
被災後の情報はまだまだ少ないですが、今回はそんな黒谷の様子を確認してきました。
里の川沿いの道はほぼ修復済みなのに対し、かつて大幽沢出合の先まで通じていた林道は跡形もなく、これでもかというくらい崩壊していました。
あの崩壊状況を見ると、工事には10年や20年は悠にかかるであろうと思われます。
工事は現在進行中で、小幽沢手前までは工事車両が入っていましたが、崩壊は今もなお少しずつ進んでいるようでした。
大幽沢手前には工事用のヘリポートなども造成されていました。
工事完了後の姿は想像したくもないが、広大な会津の森、原生の幽玄な黒谷の森は傷は深くとも死んではいないと信じたい。
皮肉なことだが、林道の壊滅が人間から森を守った側面も否めない。
林道を進むと時折河原に降ろされ、また林道に上がりの繰り返し。
もっとも林道とは名ばかりで、崩れた林道の残骸にはブッシュが茂っていました。
釣り師によるものか林道/ダム関係者によるものか定かではありませんが、しっかり踏み跡がついていました。
林道を先行していたオベ松さんは、桑の実を食べていた森の熊さんにばったり遭遇。
血相を変えて逃げ戻るも、熊さんも退散。以後はホイッスルで熊警戒。
途中ウスヒラダケや木耳、ウドなどを嬉々として収穫しながら、am9:25大幽沢出合に到着。
災害前はここまで車でこれたそうな。信じがたいが最早そんな面影は全くない。
大幽沢出合にかかる青い橋は健在だったが案の定手摺りと床の網はなく、取水堰堤まで通じていた仕事道も判然としない。
しかし土砂で沢床が埋まったのか、橋を使わずとも何の苦も無く渡渉することが出来る。
平水よりも水は多めで笹濁り。
沢沿いに遡行し、時折新旧の倒木や巨岩の崩落で行く手を阻まれるものの遡行そのものに問題はない。
朝から雨が降り気温もさほど上がらず、西ノ沢を過ぎ、窪ノ沢手前のゴルジュに差し掛かる辺りから雪渓が現れだした。
今日はここまで。
ここ数年入渓者は極端に少なかったようで、既存のテン場は荒れていて使える状況ではなく、最近の幕営跡も見られない。
雪渓を越え、目指す丸山岳はまた明日。
早めのビバークで明日に備えようと、皆早く就寝するが、時折吹く山風と冷たい雨で熟睡できないものの、沢屋の朝は早い。
am4:00起床。まったりと朝食をとり、各自必要装備のみ持ちam6:20いざ丸山岳へ。
いままで水量は安定していたが、しばしば薄濁りになる時があり、どうやらたまに雪渓が崩れているらしい。
窪ノ沢手前のゴルジュはどのくらい雪渓が残っているのだろう。
それを知る術は、目前の巨大雪渓地帯を越えなければならない。
雪渓脇のスラブに取り付き、まずは南郷・オベ松・NAS偵察隊先行。
降り口はあるようだが、その先が読めない。昨日チョイ高巻きでちょっとばかし苦労したので、目前の雪渓大大大高巻き出口見えずは、問・題・外。
am7:30会長の一声「遡行中止」。
実は、「黒谷川大幽沢」災害崩壊もさることながら、今年は雪渓がハンパなく、おととい来い状態でした。
ここでこうだと奥利根なんて想像できやしない。
今回は2泊3日の予定なので、ブナの森に抱かれながらのまったり山行に変更とばかりイマイチのテン場を撤収。
西ノ沢出合チョイ下流にはこれ以上ないほど環境に恵まれたテン場が得られました。
マキも売るほどあり、ボルダリング大岩あり、山菜・好釣り場ありの言うことなし。
あとは入山酒を飲みきるだけとばかり、好天を見上げながらの大宴会。
これでええんかい、たまにはいいのよと師匠の深瀬さんの声が聞こえてきそうです。
翌朝は、快眠am5:30起床。am8:00に下山開始。am11:30深沢温泉むら湯入湯で大雪渓に阻まれたまったり山行を終えたのでした。
おしまい
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