上越荒沢山転じて1120m無名峰から越後中里スキー場
2013年12月22~23日
オベ、他1名
クリスマスの連休は、ワシをバリエーションの世界に引きずり込んだY君と、久しぶり(ほぼ15年ぶり)に山に行くことにした。Y君は大学山岳部出身。10年ほど前、光来出に逝ったE君の先輩である。
場所は、これもほぼ15年前に二人で行った、上越荒沢山にカドナミ尾根から登り、稜線を縦走して越後中里スキー場に抜けるルートとした。
【12月 22日】
三連休の前半で行く予定であったが、天気がナニなので後半に変更。
でも天気は日光の手前(イマイチ)なのであった。
ドドンと雪の積もった土樽駅から、完全装備で出発。林道入口でワカンを装着。
30分ほど進んだ場所で、カドナミ尾根の取付を確認していると、
土樽駅で「私も荒沢山(に行くんです)」とおっしゃってた、単独行のオッサンが追い付いてきた。
オッサンは「取付はもっと先ですよ」とのたまう。
昔の記憶だと、ここらへんなのだが、ベテランそうな、自信たっぷりのこのオッサンに着いて行くことにし、林道をラッセル交代しながら歩く。歩く。歩く…。
おかしい。
こんなに林道は歩かなかったょ!!と思いながらも、オッサンに引きずられズルズル進む。この林道歩きでかなり消耗する。
2時間位も進んだが、オッサンは首を縦に振らない。Y君が「これ、絶対ヘンですよ」とキレ出す頃、やおらオッサンが尾根に取り付き出した。取り付きとしては場所がナニだったので、ワシらはオッサンと別行動をとり、もう少し林道を行った先から取り付く。腿ラッセル+木登り+藪漕ぎ。オーバー手袋が破れる。あららん
これじゃ先が思いやられるワイ…と、ふと後ろを振り返ると、先ほどのオッサンが追い付いてきて後ろでニッコリ。
ま、またお会いましたねぇ…と、再び三人でラッセルを交代しながら登る。
ワシらは、オッサンが勘違いしていて、ここは荒沢尾根(カドナミ尾根のひとつ向こうの尾根)だと確信していた(結局間違いだったが)ので、地形図を見て、高度1000mの平坦地で泊まろうと決める。聞くと、オッサンもそこまで行くと言う。
ここから先は、いわゆる「塹壕堀り」のラッセルとなり、消耗が激しい。ヒーヒー雪を漕ぐことしばし、900m付近の平坦地で、ついにオッサンが”ここで泊まる”の言葉を残し、戦線から離脱する。えぇぇ!そんなぁァ。ワシも、もう足が上がんないんですけど。
Y君と二人、1000m付近までヒーコララッセルするが、想定していた場所はなかなかの斜面。も少し、も少しと2ピッチ伸ばしたところで、日没時間切れ!!少し斜めっているが、ここを整地し、テントを建てることとする。
ここで、♪パンパカパーン♪本日のハイライト!!
Y君が持ってきた本日の宿が「ソロテント」であることが判明!
…せ、狭くねぇか?
しかもこのテント、片方のポールが3つのパーツに分割されていて、設営がメンドクサイ。
時間が悪戯に過ぎて行き、気温がどんどん下がってきて、寒くて死にそうなので、雪落としもそこそこにテントに転がり、コンロをつけると二人ともビチョグチョ。ワシは手指、Y君は足指の感覚がない。
戸口の雪をコッヘルでカキイレながらまずは水を作り、熱い飲物を腹に流し込んで落ち着いたところで、食事。
Y君が出してきたのは…
・チーカマ3本、キオスクのサラミ1本(10cm)、あさりつまみ…
15年の歳月が、二人の食生活にギャップを作ってしまったようだ。
NAS会長の”カワキモンなんか出すな!”と怒る気持ちが、しみじみわかる、ウン。
そう言えば、昔はこ-ゆ-ので、十分満足だった。
Y君と最初に行った冬の八方尾根で食ったのは、
”ジフィーズにゆかりを混ぜたもの”と”トーハトオールレーズン"。以上
というキッパリしたものだった…。アタイ、なんだか贅沢になっちゃったみたい(笑)
ワシが提供した「牛スジの白湯鍋」「シメジとアンチョビのアヒージョ」
を食いながら、Y君が感激の雄叫びを上げる。
でも、梁山泊ではこれが前菜くらいなのだよ、Y君(笑)。
これらをつまみながら、ビール350缶×1、ワンカップ×1、ワイン一本を空け、バカ話をして屁をこいて、21:00頃消灯。
途中、トイレに出ると、雪がしんしんと降っていた。あぁ、これでまた明日もトレースなしかよ(って、もともと先にはトレースなんてない)
【12月23日】
4:00起床。ラーメンをすすりながら、オッサンが登ってくるのを虎視眈々と待つも、なかなか上がって来ない。この雪の量だし、あきらめて下山したのかもね、でもあの林道を戻るのはカッタルイいよねぇ。などと話ながら、重い腰を上げる。
相変わらずの塹壕ラッセルが続き、何の目処も立たないような気がしてきて、50m位高度を上げた地点で休憩。
Y君と今後の行動について協議する。ここから荒沢山に立てても、中里への縦走はきびしいと思われるので、10:30まで登れるところまで登り、引き返すことで合意。あぁ、帰りの林道もシンドそうだ。
ここから先は万歳ラッセル、昨日の疲れを引きずっているのがわかる。シンドイ。ヒーハー(泣)
30分ほど奮闘し、最後にキノコ雪を処理して登り切ったら、実に気分のいいピークに出る。あれ?
荒沢尾根なら、もっと上続いているはず。しかも、カドナミ尾根との合流点の岩場がない。
息が落ち着いてきたころ、天気が良くなってきて視界が開け、いままで足拍子だと思っていた隣のピークが荒沢山であることに気づく。実は、ワシらが取りついたのは、カドナミ尾根でも荒沢尾根でもなく、荒沢山と柄沢山の間にある、1120mピークに突き上げる尾根だったのだ。地形図を見ると…納得である。あのオッサンの言うことを鵜呑みにして、実は荒沢山の麓をぐるっとエスケープしたしていた訳だ。まぁ、荒沢山からここまでの縦走が当初のルートの核心部であり、この雪の状態だと縦走は難しかったと思われる。一挙に今日のメドが立ってしまった。結果オーライ、オッサンに感謝である。
ここからなら中里に下る一手でしょ!Y君と気分も明るく、柄沢山に向けて出発。相変わらず雪は深いが、天気は上々。ゴールの中里スキー場はすぐそこに見えてるし、気は楽だ。
柄沢山に到着し、Y君と「あのオッサン、どうしたかねぇ」などと談笑し、来し方を振り返ると…。なんと!あのオッサンが追い付いてきたではないか!…Y君と顔を見合わせてアングリ。オッサンはオッサンで、ワシらのトレースを虎視眈々と狙ってたのかも。またも戦術にしてやられましたわ(笑)
柄沢山から1時間ほどで中里のスキー場に到着。オッサンはまたも俺らのトレースの後をついてきていたようだ。単独であの雪は厳しかったろうし、結果的にオッサンの勘違いのおかげでここまで来れたんだから、今回はよしとしよう。
いやいや、もしかしたら、オッサンは雪の状態から、当初のルートでは縦走は困難と判断、かといって林道を戻るのも論外なので、今回のルートを敢えて選択し、ワシ等を導いてくれたのかも。エスケープルートとしては総合的にいいからね。
明日の仕事のことも考え、電車で湯沢に行き、風呂はパス、飯も駅の立ち食いソバですませ、かぐわしい匂いを漂わせながら、上越新幹線に飛び乗った。
なんやかんや言って。ヒジョーに充実した山行でした。
15年ぶりにY君と登りました。「衰えた」なんて言ってましたが、やっぱり強かった。
ラッセルの3分の2はやってくれました。基礎的なバカ体力は到底かないません。
ワシも、も少し強くならねば。
でも、今度一緒に行くときは、テントは私が用意します。
〈タイム〉
【22日】土樽駅8:50~11:00無名尾根取付~1000m付近(幕営)
【23日】起床04:00~出発07:30~1120mピーク9:00~柄沢山11:30~越後中里スキー場13:10
<教訓その1>
ベテランそうだからと言って、むやみに他パーティーの言うことは信じないほうがいい。
今回は結果オーライだったが、下手するとハマります。
<教訓その2>
厚手の手袋は早めにつけましょう。僕は、初日はずっと薄手の手袋で過ごしたので、
手指全部の指先が血行障害でいまだに感覚がありません。
なお、今回のようなラッセル中心の山では、いわゆる「皮のグローブ」は役に立ちません。
毛手、ハガロン万歳!
<教訓その3>
やっぱりも少し広いテントで泊まったほうがいいと思います。
オベ
0コメント